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道徳とは?新年よもやま話

あけましておめでとうございます。
今年は、1日夕方に石川県で大きな地震があり、翌日は、その支援のために行く予定の海保の飛行機とJAL便が衝突するという前代未聞な新年の幕開けとなりました。

波乱の一年となるのではないかとの不安が多くの人に心の中に宿ったのではないでしょうか?

 

しかし、人は毎日を粛々と過ごさなければならず、そうすることが次の希望を作ることも事実でしょう。

そんな中で、放送大学でテイ先生の講義が面白かったので、ちょっと道徳について考えてみようかと思います。

例えば、誰が、なぜ殺人を犯してはならないと決めるのか?社会が壊れるのを防ぐため?自分が死にたくないから?

では、なぜ戦争や死刑では殺人が許容されるのでしょうか?社会を守るため?自分を守るため?

 

戦争は、今、起きていますし、ずっと無くならないですよね。

 

では、多様な人類全体に共通の道徳はないのか?場所や時間が違えば、善悪の区別も異なる?

グローバリゼーションを裏付ける道徳体系がない→道徳の空白

 

では、多くの宗教戒律にある共通項をあげると、、

・殺人をしてはいけない

・人のものを盗んではいけない

・人をだましてはいけない

 

この「人」というのは、「生物学的人間一般」を表しているようですが、この「人」を「仲間」に変えて読み替えると、ストンと落ちるのではないでしょうか?
すなわち、道徳とは、仲間同士の内輪の掟だと。

道徳の基本原理=仲間らしくしなさい

 

ひ~っ。なんだかいろんなことを考えさせられます。。

 

道徳の次元を考えると、次元1「利己」次元2「評判・信用」次元3「利他・献身」次元4「寛容性・多様性」、次元4まで至って初めて、仲間の範囲の枠がはずれ、全世界に発散されると。

 

なんで、こんなことを考えるかというと、AIに学習させる上で必ずぶち当たる壁、「トロッコ問題」というのがあって、ロボットにどう道徳的判断をさせるのかというのを考える必要があるのだそうです。たしかに。。日常生活の中で、いろんな判断をする上で無意識で行っていることを意識化していくと、人間とはなんぞやと常に考えなければならないというのは真理ですよね。

二ツ池を利用・管理していく上でも常に、道徳、常識問題にぶち当たります。。
外来種をどうするか? 自然に任せるのはどこまで許容されるのか? 特定の在来種を保全することがいいことなのか? 綺麗とは、どういうことを指すのか?

いつまで経ってもゴミは捨てられてしまうし、これらを単にみんなの「道徳」に任せてよいのか?と考えてしまいます。

みんなって誰?道徳が仲間同士の内輪の掟とするならば、仲間って誰まで?鶴見区民?横浜市民?日本国民?

 

今後、AIロボットが進化していくと、ロボットのおかげで人間がレジリエンスしていく可能性があるそうです。
指数関数的にレジリエンスしていくのか、やっぱり人間は負の繰り返しをしてしまうものなのか。

生きている間に見届けることはできるのかな~?

 

ロボットにレジリエンスしてもらうのはやっぱりもう少し時間がかかりそうなので、二ツ池の持つ生態的重要性をどう共感してもらって仲間を増やしていけるか、人が考えるしかないか・・。